
「守破離」という言葉があります。
一般にはほとんど馴染みがないと思います。
『広辞苑』にも載っていません。
武道をはじめ、茶道、華道、その他芸能などの、師匠について稽古をする伝統的な世界だけで使う言葉です。
「守」 師の教えをひたすら守って稽古する段階
「破」 「守」から一歩進んで、
自分なりの工夫や解釈を取り入れる段階
「離」 「守」の部分をしっかり自分のものとしたうえで、
独自性を出す段階
…ぐらいに理解しています。
「守」→「破」→「離」の順で進み、「離」の段階で一人前と考えていいのでしょう。
当然ながら、「守」を徹底してやらなければ、「破」も「離」もないとされます。

ボクは、秋月の道場では指導もしていますが、自分の稽古は主に筑紫野の道場に行ってやっています。
秋月の道場では「先生」と呼ばれ、「離」の状態でなければいけないのでしょう。
一方の筑紫野の道場では「稽古生」として、「守」から「破」のつもりでやっています。
自分が指導をする立場になってみて、初めて気付くことがたくさんあります。
そのなかから、筑紫野に行って試してみたりすることがあります。
先生の言葉や、まわりの先輩後輩と一緒に練習するなかでハッとすることも、たくさんあります。
今度はそれを秋月に持って帰って、指導する時に使ってみたりもします。
「離」まで進んで、「免許皆伝」みたいにスパッと独り立ちできればいいけど、なかなかそうもいきません。
「守」、「破」、「離」の間を行ったり来たり、ウロウロしながら、
武道家として高まって…
いければイイな…
来年が良い年でありますように。

一般にはほとんど馴染みがないと思います。
『広辞苑』にも載っていません。
武道をはじめ、茶道、華道、その他芸能などの、師匠について稽古をする伝統的な世界だけで使う言葉です。
「守」 師の教えをひたすら守って稽古する段階
「破」 「守」から一歩進んで、
自分なりの工夫や解釈を取り入れる段階
「離」 「守」の部分をしっかり自分のものとしたうえで、
独自性を出す段階
…ぐらいに理解しています。
「守」→「破」→「離」の順で進み、「離」の段階で一人前と考えていいのでしょう。
当然ながら、「守」を徹底してやらなければ、「破」も「離」もないとされます。

ボクは、秋月の道場では指導もしていますが、自分の稽古は主に筑紫野の道場に行ってやっています。
秋月の道場では「先生」と呼ばれ、「離」の状態でなければいけないのでしょう。
一方の筑紫野の道場では「稽古生」として、「守」から「破」のつもりでやっています。
自分が指導をする立場になってみて、初めて気付くことがたくさんあります。
そのなかから、筑紫野に行って試してみたりすることがあります。
先生の言葉や、まわりの先輩後輩と一緒に練習するなかでハッとすることも、たくさんあります。
今度はそれを秋月に持って帰って、指導する時に使ってみたりもします。
「離」まで進んで、「免許皆伝」みたいにスパッと独り立ちできればいいけど、なかなかそうもいきません。
「守」、「破」、「離」の間を行ったり来たり、ウロウロしながら、
武道家として高まって…
いければイイな…
来年が良い年でありますように。

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